能登半島地震(豪雨)現地調査
2024年9月28日、石川県羽咋市にある能登半島地震被災者共同支援センターに支援物資(米・飲料水・インスタント麺など)を運び込んだのちに、共同支援センター・事務局長の黒梅明さんに現在の羽咋市の被害状況と被災者のおかれている状況の説明を受け、液状化により住めなくなっている大川町地域の住宅の視察を行いました。羽咋市大川町は羽咋川と子浦川の合流する地点にあり海にも近いことから地盤は砂が多く震度5強の揺れにより液状化されたと思われます。被災者であるNさんの住宅は一見被害がないように見受けられますが、建物周辺は砂が浮き出てコンクリートには亀裂が確認されました。この後、羽咋市柳町にある層丈台地スポーツ広場に建てられた仮設住宅に向かい、共同支援センターから同行して頂いた佐藤まさゆき県会議員と共に被災者3名の方と被災状況と現在の生活状況について意見交換を行ないました。意見交換の中で、液状化の影響で、住宅内部のゆがみにより生活ができなくなり仮設住宅に入居されたこと、同じ土地に2世帯による母屋と別棟があり渡り廊下を付けたところ被害の少ない別棟も壊さないと公的解体できないとされ、解体をあきらめた方やご主人は仮設住宅に入居されたが奥様が仮設住宅の生活を嫌がり被害を受けている住宅で独り暮らしをされているなどが出されていました。被災者の方に共通されたことは、未来の生活についての見通しが立たないことからの不安が大きいことにありました。また、54室ある仮設住宅は空室もあるが全半壊以上の家屋の人しか入居できないことから、入居を希望しても条件を満たさない被災者は入れないとされています。一方で、社会福祉協議会などの協力により仮設住宅の広報誌の回覧や集会室を使い体操教室など仮設住宅でのコミュニケーション取っていることも語られました。
この後、志賀町にある志賀原発と原発事故など不測の事態に陥った場合の避難施設、地震により隆起した福良港の状況、歴史的に隆起がみられる志賀町富来領家町の隆起痕などを視察しました。現在停止している志賀原発前では車を止めて説明を受けていると、物々しく監視カメラが我々のほうに動き回るなどありました。一方で、放射能漏れなど原子力災害において避難所として建てられている志賀町稗造防災センターではセンター内で解決しなければいけないトイレが、外部に簡易トイレにされているなどの問題点がありました。
2日目は、宿泊したいこいの村能登半島(石川県羽咋郡志賀町志賀の郷温泉)を7時30分に出発、のと里山街道を輪島市に向けて車を走らせましたが、地震の影響で陥没や崩落が多くの場所で見受けられました。簡易的に修復された道を注意深く進む中で、地震での山の崩落と合わせ9月21日に発生した能登半島豪雨により、新たな土砂崩れと河川に流れ込んだ流木などにより橋梁が流失している状況が確認されました。9時に輪島に到着し、待ち合わせ場所である輪島市役所で鐙史郎市会議員と合流、輪島市内の地震と豪雨被害の状況と仮設住宅・ショッピングセンターなど視察・調査を行いました。
輪島市は河原田川と鳳至川の2本が中心地にあることから、想定を超える雨が河川流れ込み、堤防を越水により市内のいたるところで床上浸水などの被害をもたらしたと思われます。また、市役所前にある河原田川に架かる上新橋の橋脚にかかった流木の撤去作業が進められていました。そののちに、朝市近くの駐車場に車を停め、朝市会場近くの周辺を視察・調査を行いました。最初に大規模な火災が発生した現場を視察、現在も解体作業がされていました。周辺では古い木造づくりの店舗などが倒壊しており、いまだに解体工事がなされていない状況が確認されている中で、一部の地域では路面状況も問題なく住宅は比較的新しく見受けられたが、倒壊せずに通常に住んでおられる場所もありました。
この地域で特に印象的なところは、7階建てのビルの倒壊現場でした。ビルの正面から見て右に倒れこんでおり、左底面の地中梁が建物と一緒に浮き上がっており、柱部分にあたる底面には杭の跡が見られることから、地中部分には杭が打ち込まれていることが推察されます。ただし、建物の右側が、かなりの状態で地中にめり込んでいることから、地盤によるものなのか地中にある基礎部分(杭)の問題なのかは調査が必要ではないかと思われます。ちなみに同じ通りの家屋や店舗は多く残っているところがみられています。この後、隆起がみられる輪島漁港やショッピングセンターの状況・センターの中で出張輪島朝市が露店を出しており買い物をしたのちに昼食を取り、世界農業遺産である千枚田まで足を延ばし視察を行いました。千枚田までの移動では、多くの場所で土砂崩れが確認しれましたが連日の復旧作業により片側通行のもありましたが千枚田までの道は通行可能となっていました。千枚田では田園上部で土砂崩れか確認をされ、中央部分を流れる水路を伝って泥流が流れ込んでいる状態を確認しました。
その後、人的被害の大きかった輪島市久手川町に向かい塚田川に架かるなわて橋から状況を確認しました。塚田川はさほど大きな川ではなく、のり面は張りブロックで形成されていたようで想定以上の濁流により削りとられ川幅がわからない状態になっており、多くに流木が民家に流れ込んでいるなど被害の大きさを物語っていました。また、行方不明者の捜索には、全国各地の警察・消防・自衛隊・そしてボランティアが捜索活動をしていました。
今回の現地調査により、自然の驚異を見せつけられるとともにこうした災害に対して、どのようにすれば減災につながる街づくりが出来るのかを考えさせられました。そうして、地震・豪雨により被災された皆様にお見舞いを申し上げるとともにお亡くなりになられた方のご冥福と行方不明者が早く発見されることを心よりお祈りいたします。
投稿:建交労関西支部執行委員長 本多 裕重